おかーさんと、おとーさんと、珍しく夜中にドライブに連れていかれた僕は、てんかんの発作を前夜に起こしたばかり。
高速道路ってやつを、いつもよりビュンビュン飛ばすおとーさんの運転、泣きじゃくるおかーさん。
僕はいつもおかーさんと一緒だ。
僕が辛い時も、おかーさんが辛い時も。
僕とおかーさんは一緒だ。
僕はおかーさんがいれば、どこだって怖くない。
おかーさんも僕を抱き締めて、いつもより強くて何だか僕はその強さが儚いものに思えたら、向かう先がいつもの空気と違うと思えた。
僕はおかーさんが大好きだ。
ニャース姉さんも、しまじろりんも、ゴシオデビルズも、あおぞらも、チャルミーマスタード姫も、きっと。
そのくらいに大きく、深く、おかーさんは祖父👴の事を大好きで愛し慈しんでいた。
うん。
いる、じゃないよ、いたんだよ。
僕はそれを悟ってしまったって、珍しく、おかーさんの膝の上で落ち着いた。
そして、僕はちょこっと眠りに着いた。
ハニーピーナツ
一生懸命にやったつもりだったから、こんなに辛いのかな?
もっと、できた事、してあげられた事、あったかな。
最後、白石市の家を出て施設に入り、幸せだったのかな。。
ここは生き地獄、監獄、その言葉が忘れられない。帰りたい。帰りたい。
私がいくら幸せだったよ、ありがとうって思っても、それは勝手にこちらが思ってるだけだし、生きてる事、呼吸をしてること、ただそこに意識無くとも存在する祖父の温かな肉体が、私の祖父そのもの、何も変わらない祖父そのものであって。
少しずつ冷たくなっていく祖父の顔を擦りながら、穏やかなその表情を見るには、まだ私の心は付いていけなかった。
意識なく苦しそうな日は、大好きだよ!大好きだよ!いつの間にか板の様になった体を、めいいっぱい擦って、頭を撫でて、脂の交じる老人の顔は、何とも辛い独特の香りがするのだ。
その顔に顔を付けて。
すると、何かを言いたそうに目を少し開いたりした。
何故、お迎えさん来てくれないのかな、、きっと、この長生きは、良く祖父が言ってた
『のんちゃんが一番孫だ、←会うたびに言ってた』
『次の御手紙まだですか~(^∧^)』
『大病をしたのんちゃんが、立派な優しい孫で、大人にっておじいさんは嬉しいなー』
耳が悪い祖父は一方的に言って来てくれてたけど、その言葉から得る、私の解釈は
祖父の長生きは、私が大病をし、祖父母にはかなり親代わりにもなってもらった故、私が一人前になるまで(まだまだだけど)見届けさせてくれる為の、仏さんからのオマケ賞状だったのかしらね。って。
私の事が心配で、死ねなかったのかな?
その分、たくさん祖父にありがとうができた。
一生分のありがとうも言えた。
撫でる頭はまるで赤子の様で、透き通る様な綺麗な亡骸は、まるでお昼寝をしてる様だったし。
私は、他人のご親族に大往生と言ってきたけれど、家族にとっては、いくつになっても大往生だなんて思えない、、、何歳なら大往生!?そう心で痛感した。
家族だからか、気持ちが付いていけないからか?大往生だから!とは思えない自分もいるし、天からの迎えが来る事を待ってる、苦しみから解放される事を待ってた私もいたし。
結局、死は、やっぱり答え無く、各々の心が受け止め感じ、生まれた時に課せられた自分が真剣に人生を全うするた為にも、生きることと同じくらい大切な物だと言う事。
生死に基準がないからって
その代わり、いくつまでも頑張れと言うのは、これまた家族のエゴになるだけだし、無理だけども。
祖父がどんな形でも
『来たよー!のりこだよー!じーちゃーん』って。
聞こえなくても、触れてスキンシップして、『大好きだよー!痛いとこあるかーい?』
と、人間としての物体として、そこに存在してるだけで、家族として、それは100歳を越えても尚、いるか居ないかでは気持ちがまるでちがうし、一生懸命やったつもりでも、亡くなった後に、色んな想いを痛感している一日たった今夜。
どんなに一生懸命してたつもりでも、こーすればあーすればと、頭を過り涙が浮かぶし。
少しだけ私の体調が優れず、もう、変えるんですか?って言われた日もある、
やはり、その帰った日を思い出すと悔やむし。
けど、意識が無くなり呼吸器をつけられて、いつどうなるか、、、と言われてしまえば、そこからは
頑張って!長生きしようとは、決して言えやしない。。もっとも、若ければ別だけども、こちらは大正生まれの人間だ。
頑張って、も100*回以上言ってたけど、どんな気持ちで聞いてたんだろ、頑張ってたのにね
ごめんね。。
大泣きする私と母に、祖母が言う。
『そんなに、泣かないんだわー。』
『おじいにゃんかわいそうだろー?』
『あのね、戦争を味わった女は、こう言う時は泣かないのです。
しっかりと最後まで旦那を送るのが、女の役目、女房の役目、泣いてはならないのです。
女ならしっかりしなさいよ。』
戦争を味わった女は強いものです。
本当に強い、かっこいい祖母です。
その言葉で、男のげんぱぱも、祖母のきちんとした、人を迎え入れる洋装、化粧、懐かしいお話しが始まる祖母に、、時はすでに朝方。
目に浮かぶはキラリとしたとものでした。
一人になった祖母。
今度はあなたを寂しがらせない様に、届けたり電話だけではなくね、週に何度かご飯を食べようねと約束をした。
本人は至って強気ではいるが、内心は興奮して寝れない様だった。
今ようやく少しは目も腫れがひき。
書きたいことがまとまらない。まとまらない。まとまらない。とまー、長々とすみません。
だってまだ私は、病院にお見舞いに行こうとしてしまうのだから。。。
祖父が最後まで幸せだったかは、本当に私には分かりません。
最後は飲みたいと騒いだ水も、最後の『死人に水』になり。
みとんや、ベットにくくりつけられた体は、アザだらけでしたから。
痴呆が進んでからは、くるくると天井をみてばかりでしたが、最後に亡くなる前の日に偶然、会いに宮城に行った日は、目を開けてくれて
私を見て目で追い、何かを話してくれてました。
ただひとつ、私のわかるのは、弱音を吐かず良く堪え忍び、愚痴の1つもこぼさずに男らしい人だったって。そーゆうそ人だった。
私は、たくさん会えて、会話の一方通行だったたとしても、お話しをして、抱き締めて、背中を擦り、手を握り、最後は赤子の様に、まるで私の赤子の頃を思い出させてくれてる様な、感触を覚えさせてくれる緩やかで長く、しかし短く、濃厚な時間でした。
ありがとうという、香水ができそうな程、思い出せば出すほど涙が止まりません。
あなたの孫で良かった。
あなたにはたくさん、心配をかけたから、最後に挽回できていたのかが不安だけども、大人になるまでが遅い私を、優しく見守ってくれてありがとうございました。
祖父が亡くなりました。
(火)(水)と休ませて頂きます。
一番孫と言われ続けた、紀子より。